不比等・閑話(その162)
藤原不比等(ふじわらふひと・ふじわらのふひと)、について想いを巡らし、ブログのタイトルを不比等(fuhito)とし、不比等の生きた時代を中心として、古都奈良の観光振興に資すべく、続けてきたこのブログも、一旦、お開きとすることに致しました。![]()
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元々、歴史が好きではありましたが、時代が下った戦国時代とかが、興味の大半でした。あるとき、塩野七生(しおのななみ)女史の「ローマ人の物語」を読み始めて、ローマ帝国の壮大な歴史に触れ、初めてジュリアス・シーザーの天才である所以(ゆえん)を知りました。翻(ひるがえ)って、日本では、それに匹敵する人物がいるのだろうかと、考えを廻(めぐ)らしたところ、梅原猛氏の著書「隠された十字架」に登場した謎の人物「藤原不比等」ならば、日本のジュリアス・シーザーといっても過言ではないのではないかと、藤原不比等の歴史的周辺を、もっと知りたいと思うようになった。残念ながら、藤原不比等はジュリアス・シーザーのように、自身の著作を残しては居ないものの、記紀(古事記・日本書紀)の編纂に深く関与していたことから、その記紀の描き出す古代世界の中に、彼・藤原不比等の人物を准(なぞら)えられはしまいかと、同様に、藤原不比等を調べてきた人々の著書などを読み合わせてきました。けれども、藤原不比等が天才である所以なのか、日本史の中で彼の尻尾(しっぽ)を捉(つか)まえることは、並大抵のことではないと思い知りました。これは、藤原不比等を調べて来られたよそ様も、悉(ことごと)く、同じ想いをされてきたものと、感じ入る次第です。
一番の問題は、余り深く突っ込むと、日本国の国体護持の建国精神に触れることとなり、これまで、歴史学者がこの時代を、敬遠してきたことも一因ではあるのでしょうが。もし、藤原不比等を歴史の中に正確に位置付けるとすれば、これまでの日本の歴史上の人物は全て霞んで仕舞うほどの、迫力があったに違いないと思われる。1300年後の今に至る国の統治機構である官僚組織を、盤石に整備したのであるから、それを天皇制で権威付けたことは、未だに微塵も揺らいでいないのだから。![]()
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藤原不比等は、奈良公園の入り口、興福寺の北円堂に祀られて、今も静かに眠っている。
奈良市・鴻ノ池運動公園の一角に建つ藤原不比等・顕彰碑が唯一、鴻ノ池運動公園を造成した際に、藤原不比等の陵の名残でさえ破壊したらしいことを、認めているかの気がする。まあ、藤原不比等にしても、平城遷都の際、多くの古墳を破壊しているのだから、十分に納得していることであろうけれど。
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